入野 泰一(いりの やすかず)氏 |
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日本貿易振興機構(JETRO)総括審議役 |
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< ご略歴 > |
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1962年生。東京大学法学部公法学科卒。1987年 通産省入省、スタンフォード大学客員研究員、通商産業大臣秘書官、在英日本国大使館参事官(商務班)、経済産業省大臣官房参事官(国会担当)、資源エネルギー石油流通課長、経済産業研究所上席研究員など歴任。2011年日本貿易振興機構(JETRO)総括審議役(中小企業担当)、現在に至る。 関心事項は、クリエイティブクラスター、ブランド論、ソーシャルキャピタル・ヒューマンキャピタル(「創造的人材の2拠点生活とネットワーク化によるスマートエリアの形成」)、産業法制(知的財産権等)、国際政治(安全保障、国際エネルギー戦略等)、イノベーション。【サークル:都心のオフのネットワーク Creative Network @ Smart Area主宰
会のキーワード:「創造」「グローバル」「インデペンデント」「和」】 |
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海津 歩(かいつ あゆむ)氏 |
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株式会社スワン代表取締役社長 |
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< ご略歴 > |
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1960年生。東京都出身。1985年、アルバイトからヤマト運輸に入社。世田谷の営業所に所長として就任した当時から、様々なアイディアを実行し、業績を上げる。以来、各地の営業所長、支店長を歴任。業務改革に取り組む。2005年「スワンベーカリー」を経営する株式会社スワンを、小倉会長亡きあとに引き継ぎ、代表取締役社長に就任。内閣府の総理大臣直轄プロジェクトメンバーや各大学等の講演他、国内外の社会企業の国際会議に多数出席。 |
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斉藤 栄(さいとう さかえ)氏 |
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熱海市長 |
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< ご略歴 > |
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1963年生。東京都品川区出身。1985年東京工業大工学部土木工学科卒。
1988年大学院修士課程終了後、国土庁入庁。大都市圏整備局計画課主査、土地局国土調査課専門調査員などを経て退庁。2001年1月慈慶学園(本部東京)勤務。2004年2月岩国哲人衆院議員政策担当秘書などを経て、2006年9月熱海市長就任。現在2期目。
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根本 和洋(ねもと かずひろ)氏 |
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信州大学大学院農学研究科 助教 |
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< ご略歴 > |
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1967年生。信州大学大学院農学研究科卒。1992から2年4ヶ月、ネパール農業省の農業研究評議会でオオムギやソバなどの育種研究および植物遺伝資源の収集・保存活動に従事。2002年、オランダ、ワーゲニンゲン大学客員研究員。現在、信州大学大学院農学研究科機能性食料開発学専攻助教。専門は、植物遺伝育種学。中米起源の作物アマランサスを材料に研究を行う他、地域の伝統野菜を保全遺伝学の立場から研究を続けている。2007年より伊那地域アマランサス研究会を立ち上げ、地域振興に取り組む。近著に西川芳昭氏との共著『奪われる種子・守られる種子』(創成社)などがある。 |
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渡部 卓 (わたなべ たかし)氏 |
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ライフバランスマネジメント研究所 代表 |
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< ご略歴 > |
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1956年生。早稲田大学政経卒、米ノースウェスタン大学院卒(MBA)。モービル、ペプシコ、シスコシステムズなどを経て2003年にLBM社設立。現在ライフバランスマネジメント研究所代表。上海師範大、瀋陽大、西北工大(西安市)客員教授。早大、お茶の水女子大講師。ビジネス心理士協会常任理事。職場のメンタル・ストレス問題では日本を代表するコンサルタントの一人。NHKなどメディア出演も多いほか、日中国ビジネスへの参入の架け橋として活躍し各地で講演や執筆活動などでも活躍中。軽井沢にもオフィスを構え、セミナーやストレスケアへのカウンセリングを実施している。 |
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★NPO法人MBAキャリアデザイン研究所とは |
NPO法人MBAキャリアデザイン研究所(代表 庄司祐子)、その創業の意図するところは、産学連携の中で日本のMBAの価値を高めていく事にあります。当研究所では、4年前から軽井沢にてMBAセミナーを開催しております。今回、5回目にあたるセミナーでは、「地方に眠っている日本の宝の山」について、その可能性と価値創造について、具体的に語り合う場を設け、産学官それぞれのお立場からお話を伺います。 |
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★軽井沢ユニオンチャーチとは |
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軽井沢ユニオンチャーチは、地域の住民から「軽井沢の村長さん」と呼ばれ親しまれたダニエル・ノルマン宣教師によって活動を開始しました。非公式ですが1897(明治30)年からその活動が始まっています。そのメンバーはプロテスタントの外国人宣教師たちで、荒れ地に近かった軽井沢に最初に夏の別荘を建てたのも彼らの働きでした。クリスチャンのための礼拝も1880年中頃には既に持たれていました。 |
もともと官営鉄道の高級技師用クラブハウスとして建てられた建物を買い取り、改装した後、現在の教会として1906(明治39)年から使用されています。 |
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